野菜の抵抗力と農薬
以前に農薬のことを書きました。その続きを書きましょう。
農薬の主たる役割は、病害虫から作物を守ることです。
病害虫とは病気と害虫のことです。
病気には大きく分けて、ウィルス由来のものと菌類によるものの2つがあります。
害虫には葉や実を食べる食害型、樹液を吸う吸汁型、排泄物で葉を汚して病床を作るもの、ウィルスを媒介するものがいます。
病気についての農薬は、予防と治療の2種類があり、害虫については殺虫と防虫があります。つまり人間の社会・生活環境とマッタク同じということです。
2年ほど実験的な栽培をし、本をたくさん読み、多くのネット情報を見てきて分かったのは、農薬が無くてもある程度の作物は採れるということでした。もう少し詳しく述べると、病気があまり広がらずしっかりと実を付ける木もあれば、大きく広がって枯れてしまう木もあった。あるいは葉っぱをあまり虫に食われず、成長を続けて新しい葉を出すものもあれば、葉っぱを殆ど食われてしまうものもあったのです。
つまり、同じ品種の種を撒いても、病気に強かったり、害虫に強かったりする木と、反対に弱い木があったということです。
では何故病害虫に強い木や弱い木があったのでしょう?
それは人間に例えるなら、遺伝的形質の一つとしての免疫力の強弱と言い換えることができそうです。
遺伝的形質というのは、人間の場合、外観的には身長体型に始まり皮膚や目の色、声色や耳垢のタイプなど、ひとりひとりに固有の特質があり、体内の免疫力もそのひとつであると言えます。つまりすぐ風邪をひく人、あるいはすぐに風邪が治る人がいるということに置き換えられます。
人間に免疫力があることはすぐに実感として分かることだと思います。例えば免疫力が奪われてしまう病気がエイズで、免疫力が無くなることから必ず死に至ります。
しかし植物に免疫力があるというのは、ピンとこないかもしれませんね。でもそれがあるんです。
例えば稲は泥だらけの環境に植えられて育っていますが、人間があの泥水を飲んだらどうなると思いますか? ばい菌がウジャウジャいて、たちどころにお腹を壊すであろうことは容易に想像できると思います。でも稲はなんともありません。つまりばい菌に対する免疫力があると言えるのです。
人間の場合、免疫というと身体の中に入ってきた悪者を退治する仕組みを指します。しかし植物の場合は少し違います。植物は動けないため、虫を追い払ったり身体を洗って清潔に保つことができません。
動けない植物はしかし為すがままでいるのではありません。虫が寄ってきたらその虫が嫌がる毒を分泌して、追い払おうとします。菌が舞ってきて体内に侵入しようとしたら、これを殺す毒を分泌してやっつけます。
そうやって植物は何億年もの間、動けないなりに自衛してきたから生き延びてこられたのでした。
たまたま今は野菜についてのホームページでこれを書いているわけですが、これが毒キノコのページだとすれば、話しがわかりやすいと思います。毒キノコは人間に食べられないようにするために、毒を持っているということです。
さて、農薬をテーマにしているのに、ちっとも農薬が出てこないとお気づきのあなた、ここまでの話と農薬の関係を今から述べましょう。
文頭にこのように書きました。
「農薬の主たる役割は、病害虫から作物を守ることです。」
察しの良い人であればもうわかったと思います。
植物の免疫力と農薬の働きはマッタク同じなのです。
つまり農薬と、植物が独自に備え持っている毒は、同じ作用をしているのです。同じ物質(化合物)ではありませんが、同じ効果を持った毒なのです。
我々はついつい農薬を忌み嫌ってしまいますが、もしも農薬不要の野菜があったとしたら、その野菜は自前のとても強力な農薬を分泌していると考えてもらえばよいでしょう。農業経営に於いては、植物が分泌する毒だけでは効果が足りないので、人工的に植物の免疫力を補ってあげているという訳です。
もう一度強調しておきたいことを繰り返します。
植物は自分で毒を出さなかったら、何億年も生きることはできなかったのです。それなので今まで人類が口にしてきた野菜の全ては、多少なりとも毒を持っているということなのです。
無闇と農薬を忌み嫌うことは、呪い師の言葉を信じるが如くに、非文明的であるとさえ言えます。もちろん農薬は正しく使わなければ意味がありませんけどね。