トマト栽培の事業立上げ

大学を卒業し会社勤めを20年ほどしたところでかなり重たい鬱病が発症しました。仕事の環境やストレスもあったけど思い起こしてみれば会社勤めをするより前から季節性の不具合はありました。良くこれを「心の病気」と表現する人がいますが、実際には脳という「臓器」の病気によって心や身体に影響が出るのです。

休養を取ったり医者に通ったり色々しましたが、どうもシャキッとしないので思い切って人生の舵を切る決断をしました。「養液栽培農家になる」という目標を置いてそれに必要な知識能力資格キャリアはどういうものなのかを調べ、2009年4~9月の半年間県立農大で寮生活しながら24時間みっちりじっくり農業の基礎を学びました。

農大では入学前に先生方から「養液栽培のことは何も教えられないけど、本当にそれでいいのですね?」と念を押され、そのバリアの張り方にちょっと驚いたのだけど、そんな脅し?に屈してはいられないのでもちろん聞き流して入学したのでした。

 

入学時点では養液栽培をやるということしか決めておらず、何を栽培して生活を立てるかというところまでは決めていませんでした。そもそも「なぜ養液栽培なのか」ですが、環境負荷が極めて小さいということと、連作障害が無いことがメリットなのです。

環境負荷とは肥料が土に染み込んで地下水に溶け込むことを指します。肥料は決して毒ではありませんが、深層の土や地下水が富栄養化するというのは自然なことではないのでなるべくこういうことは避けたいと考えます。

連作障害というのは同じ畑で毎年同じ作物を栽培すると育ちが悪くなったり病気に掛かり易くなったりすることを言います。有名なのはナスで一度栽培すると5年は植えられないと言う話し、どこかで聞いたことあると思います。これが起きる原因は地中のばい菌を退けるために根から毒素を出すのですが、ばい菌の方は1年で耐性を持ってしまうのです。そのため2年目には根から出す毒素ではばい菌は死なず病気になってしまうのです。ところが養液栽培では土を使わないのでこのような事が起こりません。いつも新鮮な養液が根に供給されるので、毎年毎年すくすく健康に育つのです。

これはもしも路地栽培で生計を立てようとすると、毎年季節ごとに違う野菜を栽培しないとうまくいかないということを意味します。中途参入するのに何種類もの野菜栽培のノウハウを一気に身に付けるのは至難の業です。それなので一品に集中できる養液栽培に着目したというわけです。

 

農大の半年間で色々な作物を育ててみて、まずはトマトが一番であることを確信しました。トマトはクラスメイトのうち7人が栽培していたので、同時並行に様々な現象やトラブルを見ることができました。圧巻だったのは梅雨に入って最初の大雨が降った時でした。目に見えてばい菌が地中から立ち上がって、畑の南から北に病気が広がっていきました。トマトの良いところはそうやって病気に犯されても果実には被害が及ばないことと、うまくメンテナンスしてあげればその先また新しい葉や実を付ける生命力があるところです。

 

「トマトで行こう!」と決めたところで、運良く温室を使ってもいいよと先生に言われたので、養液栽培をやってみることにしました。しかしその時点では乏しい資料しか無く、取り寄せたメーカーカタログにも肝心のことは書いおらず、具体的な栽培設備のことは全くわかっていませんでした。

そこで家庭菜園用の養液栽培セットを5桁の現金を払って1つ買ってみることにしました。届いたセットは金額相応の良く考えられた商品でしたが、機能をバラしてコピーを作ってみたら、1/5のコストで再現できました。こういうことで温室の中でメーカー品と自作機と土耕を並べて栽培実験することができました。結果は3つともスクスクと育ち、自作設備で十分生活できるという確信が持てたのでした。

 

実際のところそれまでは栽培装置メーカーに丸抱えで頼む積りでいましたし、そのためには土地が決まらないと正確な見積もりも出来ず、実態はまだまだ雲を掴むようなものでしたが、自作でいけることがわかってコストも自分で積算できるようになって「トマト+養液栽培」という目標が自分の中で100%確定したのでした。

 

農大を卒業するとき、3つ並んだトマトのうち土耕はやむなく引き抜きましたが、2つの養液栽培はクルマに載せて引越ししました。既に木は2mくらいになっていたけど、そっと運んで無事引越し完了。場所を貸してくださったのは隣町の友人でした。かまぼこハウスの一角でコンセントもあって理想的な環境です。

ここで学んだことは、寒さの限界でした。簡単に言うと暖房器具を使わないと、育たないだけでなく木が死んでしまうことを目の当たりにしたのでした。それは予想していたことですが、ではどうやって暖房するのがいいのかという知識は無く、「何かしてやらないといけないんだけどな~」とぼんやり考えているうちにどんどん冬になっていって枯れてしまったという感じでした。

農大を卒業してからはアルバイトをしつつ農地探しもしながらこのトマトの世話という生活だったので、ついつい後回しにしてしまっていたのだけど、季節の移ろいは正確に回っていることを教わったのでした。この「季節感」が農業をやる上ではとても重要、古今東西「暦」が文明の尺度のひとつであったことを改めて思い知らされたのでありました。

 

ちょっと脱線しましたが、この時点での最大の目標は農地探しでした。これには正直言って大変な苦労をしました。結論から言ってしまうと、花を育てるのが好きな友人が花友達に「農地を探している人がいる」とボクのことを話してくださり、その花友達は市の農業支援ボランティアの会長さんを紹介してくださいました。会長さんをクルマにお乗せして市内を5箇所ほど回った中に今借りている温室があったのでした。はしょって書きましたがこの物件だけでも自分と大家さんを含めて7人ものつながりがあったのでした。

これ以外にも「良ければどうぞ」とおっしゃってくださった方もいれば、冷たくあしらわれたり、話をしているうちに勝手に興奮して激高する人もいたりで、大変でした。

役所にも行ってみたけれども、マッタク役に立ちませんでした。遊休農地は山のようにあって世論的にはこれの有効活用=食料自給率向上=地産地消ということがさけばれていても馬耳東風。役所は昔も今も役所なのでした。

 

さてこうして手に入れた天窓付き鉄骨温室ですが、20棟ほどある温室団地のひとつで面積は300坪=1000㎡、日当たり良好、深井戸ありの好条件。しかし築30年でここ5年間は放置していたということで超ボロボロ。あちこち直すのに数ヶ月は掛かりそうな感じでした。

更に借りてからわかったのですが、30年の間に地盤沈下があり雨が降ると水溜りが出来てなかなか引かないという状況にあります。また天窓は錆が酷くて枠にガタがきてたり、蝶番が寿命を迎えて千切れそうになっていたりということもわかってきました。

バイトしながらこれらの手当てをするのでなかなかはかどらず、とうとう借りてから1年が経ってしまいました。2010年11月からはバイトの時間を減らしたので、これからはスピードを上げられると思うけど、しかしちょっと焦りますね。

 

温室の面積が決まったので養液栽培設備の材料費も大体確定しました。防寒設備についてもここ一年の間に色々調べ先輩農家の視察もして、概ね設計は終えています。

ということで目下のところ地盤沈下による水溜り対策と天窓修理が大きな課題で、そのあと防寒設備を作り最後に栽培設備となります。

 

もうひとつ事業として忘れてはならない要素があります。温室を使い雨にぬれず暖房をきちんとすることで、品質の良いトマトが栽培できる理屈なのです が、2010年の夏がとても暑くて野菜がまともに育たず高騰したことは覚えていると思います。この時のトマトの品質は酷いもので、しかしそれしか商品が無いので、 普通だったら出荷できないC級品がいつもの倍以上の値段で売られていました。温室には換気窓として天窓があり、このほかに屋根に日除けシートを被せたりし ますが、それでも2010年夏の暑さは防げなかったことになります。

もしこれからしょっちゅうこんなに暑くなるとしたら、いまから設備を作るのですから何か手を打っておくに越したことはありません。そこで実際に暑かった時期に色々試して、「細霧冷房」を導入することにしました。読んで字のごとく水を霧状に吹いて気化熱で気温を下げるという原理です。技術的なポイントは霧の水滴を葉が濡れないくらい細かくするところにあります。葉が濡れてしまうと病原菌がそこから繁殖してしまうからです。うまくやると4~5℃は下がるので、効果が期待できます。

 

事業としてはいまのところ出て行くばかりですが、成果物ができたら今度は販売していかなくては生活できません。幸い妻は業種は違うけど営業経験があることと、温室団地の方々は組合を作っていてそちらの流通ルートも使わせて頂けるようです。どちらもまだ具体的な話しの段階ではないけど、目処が立っているということで安心感は大きいのであります。

 

長くなってしまったけどこれが現在までの事業としての概要です。詳しいことは過去ログに書いてきましたので、そちらも参照してください。